ザ・ゴルフィングマシーンを勝手に解釈していくよ

ゴルフ史上最大の奇書と言われる「The Golfing Machine」を勝手に解釈していくブログ。

翻訳の方法

3-C クラッシュ翻訳

上達の為のメソッドを自分の感性に「翻訳」してゆくのには、二つの方法があるのじゃ

すなわち「クラッシュ翻訳」と「リレイティブ翻訳」じゃ

ひとつめはクラッシュ翻訳じゃが、この方法の特徴は、コンポーネントのバリーエーションが個別に練習、習得される際、他のコンポーネントあるいはストロークパターンに同時に発生する要因を、「いっさい気に掛けない」という点じゃ

そしてそのコンポーネントが習得された(その完成度はどうあれ)時点で、トータルモーション(6-P)に調和したものとなるように各アライメントを調整することでストロークパターンにフィットさせていくというものじゃ

例えば「フラットレフトリスト」が出来てないとか、そういう致命的な欠陥を修正する時には、他にどんな影響が出ようとその部分を優先させる必要があると思うんだよねー

そういうときに「いやフラットレフトリストを心がけるとテンポが狂っちゃって」みたいなことを言うやつには「だまれカスそれだけまずやれ」って言うのが愛ある指導者のありかただよねー

3-D リレイティブ翻訳

もう一つの方法では、まず現状のコンポーネントの査察を入念に行い、新たに採用を検討しているバリーエーションとの比較、分類を行う

実際には現状のものと採用予定のものにはそれほど大きな違いはないとしても、それらの違いを入念に記録し、切り替えの方法について構想を行う

その際、第一の目的として、この変更に伴い他のコンポーネントを阻害することがないように細心の注意をはらうことじゃ

そして第二の目的として、切り替えの方法に問題がないかをよく管理することじゃ

そうは言っても切り替えには、他のコンポーネントのアライメントの変更、あるいは微調整、または若干寛容性を引き上げる(動作をよりシビアに正確なものにする)必要性を伴うかもしれぬ

それら影響のあるエリアは、急がずに新しいストロークパターンへとシフトされてゆくべきなのじゃ

ある程度出来てきたら、そこからなぜさらに変更を加える必要があるのかは、指導者と生徒の間でよく共有すべきことだと思うんだよねー

人は誰でも「変える」ことには違和感を感じるはずだから、ラウンドの前日に「変えよう」としてもさらに不安を覚えるだろうし、タイミングも需要だよねー

また「変えよう」としてそれが出来ない場合ってのもあるよねー

おいらの場合、ダウンストロークでもっと早く右腕を伸ばすってのがずっと課題だったんだけど、なんでそれが出来なかったかと言うと、本能的にダフる気がしちゃってたんだよねー

おいらの中では「右腕伸ばす=リリース」って間違った単純化(翻訳?)がされてたんだけど、よく考えたら右肘を伸ばしてもセカンダリーレバーアッセンブリーをリリースさせない事は出来るから、どれだけ伸ばしてもダフらない状況は作れるはずだってなって、それで伸ばせるようになったよー

考えれば出来ることもあるよー

 

3-E 拡張翻訳

新しい動作の開発過程においては、コンポーネントにおける選択がストロークパターン全体において満足のいくものとなり、またそれぞれのコンポーネントの翻訳がより機械的なものから「感性的」なものになるまでは、ストロークパターンは比較的流動的なものであるべきじゃ

このことは簡潔化されたパターンの感性のための「カギとなる要素」を発見することの気づき(そしてそれは難しすぎないものであるべきじゃ)を生み出しやすく、そしてその簡潔化された時点においては、一つ、もしくは二つのパターンの翻訳のみで全体を表すことが出来るようになるのじゃ

その結果全ての要素は「トータルモーション」として溶け合わさることになり、「動作をつくる」ことがお主の最大の意識となり、もはや「ショットする」ことはその動作の必然的な結果でしかなくなるのじゃ

2-J-3および7-23では、効果的な可能性について記述しておる

いずれの場合でも、お主のコンピューターは常に稼働しておるのであり、新しい方法やコンポーネントのバリエーションの可能性について、常に適切なプログラムがなされる状態を保っておく事じゃ

 

最後は「ゴルフなんてテニスのバックハンドと同じだ」とか「手はなにもしません」とか「後ろ向いて手打ち」とかになるんだろうけど、これらはあくまで様々なコンポーネントがしっかりと機能出来る状態を作り上げた後に発生する「ショートカットキー」みたいなものだと思うよー

シンプルな自分のへの「表現言語」を唱えればそれだけでナイスショットになるのは理想だけど、そもそも何も練習していないところにショートカットもへったくれもないからねー

センセーショナルな言葉に酔って「これがスカイラブハリケーン打法だ」とか言ってもやっぱ基本出来てないとムリだからねー、間違えないでねー

 


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習得のためのプログラム

3-B 練習とラウンド

ある見方によっては、ゴルファーは大きく二つの種類に分けることが出来る

すなわち、その生涯をラウンドすることよりも練習することに捧げようとするものと、調子の確認にボールを試し打ちする程度にしか練習をせず、ラウンドすることに執着するものじゃ

これらの違いは、単にそのゴルファーがどのような方向性にその神経をそそいでいるかという事の違いなのじゃが、実際には双方とも半分は正しく、半分は間違っておる

双方とも、本質を追求するということと、スコアをまとめるという意識のいずれかが不足しておるのじゃ

よって正しくは、「練習すること」を練習し、「ラウンドすること」を練習しなければならぬ(3-F-5を勉強のこと)

 

もし何らかの必要性のために、ある技術の習得につとめて練習をするのであれば、その最大の目的は動作の習得であり、またそれに最大の意識を注ぐことは、結果としてその方法が正しく習得されるまではインパクトを犠牲にするかもしれぬ

これが「練習をする」ということであり、ボールの行方は本質ではない

 

反対に、クラブヘッドがどのようにボールにコンタクトするかと言うこと以外は二の次のものとして扱う態度は、否応なしに「感性のみ」によって管理され、ひたすらその注意は「両手とクラブヘッドとボールの関係」に注がれ、技術的な側面がぼんやりとしたものになっていく(あるいは状況に応じた特殊な目的のための方法の遂行に集中する)

これが「ラウンドをする」ということじゃ

そしてこの状況において重要なことは「ボールがどこに飛ぶのか」ということであり、この達成がひたすら練習されなければならぬ

ターゲットをひたすら意識するということじゃ(Become TARGET CONSCIOUS)(7-23および14-0を勉強のこと)

ターゲット重視であればあるほど、ラウンドの練習をより効率的なものにしていくと言うことを覚えておくのじゃ(7-27-4を勉強のこと)

ハーベイ・ペニックさんは「テイク・デッド・エイム(Take Dead Aim!)」って言ってて、「死ぬほど明確に目標を狙え」ってことかなー

 

よって、「練習すること」を学ぶことで技術を「感性」に落とし込み、「ラウンドすること」によっておぬしの「コンピューター」を信頼できるものにしていくのじゃ

そしてそれは次の注意をそそぐべきコンポーネントもしくはアライメントに展開され、同じようなワンツーパンチの要領で発展させるのじゃ

お主のゴルフのスキルを高めるには、上記のような「注意を向ける周期("Attention Span ")」が常にお主のスイングを監視する環境が必要じゃ(7-23)

心に留めておくべき事は、「両手」というものは、おおもとの状態から動かしたり戻したりする際、その必要な「位置を保持する」と言うことにかけて、非常に速く学ぶ事が出来るという優位性を持っておると言う事じゃ

これはとりわけリストアクション(10-18)、およびリリースモーション(4-D-0)において効果的なのじゃ

またクラブが長くなればなるほど、お主のストロークの脆弱性は増幅されると言うことも覚えておくのじゃ

 

「練習する」とは、観測し、選択し、調整することなどじゃが、ここでは柔軟な思考の「研究者」の立場でのぞむべきじゃ

「ラウンドする」とは、集中し、規律を守り、達観し、実行する事などじゃが、ここでは厳格な「演者」の立場でのぞむべきじゃ

双方ともおろそかにするでない

例えばお主のトータルモーション(12-3)のなかで、最初に「不安定」と感じるポイントがあるならば(それはインパクトではなく)、そこがお主が取り組むべき場所なのじゃ

もし安定はしているものの結果が思わしくないものが、アドレス、ボディ、インパクトである場合、それはスタートダウン以降「教育された両手」が機能していないということを常に指し示しておる(2-N)

半分、あるいは四分の一のスピードで、フルピボットのストロークを行った際に、通常のスピードと同じようなスムースさでストロークが行えないのであれば、そこにはフルショットにおける脆弱性が発生しておると言う事じゃ

間違った習得方法の罠にはまってはならぬ

12-3の通り継続的にお主のストロークの実行が正しいかどうかをチェックすることじゃ

 

お主のストロークパターンにコンポーネントやバリエーションを加える、あるいは分析を行うためには、まず最初のステップとしてメカニクスに精通しておることが重要じゃ

メカニクスとは動作における幾何学的、物理学的見地のことじゃが、仮に動作に隠れておるそれら諸条件や法則について完全な理解に至っていないとしても、観測することでお主の動作は必要な動作に近づいていくはずじゃ

しかしいずれの場合でも、それらコンポーネントの機能や特徴を捉えた上で、正しく実行が行われているのかという点を注意深く観察することじゃ

 

どんなゴルファーでも、とりわけビギナーは、お主の感覚のみを信頼するべきではない

コンポーネントのあらゆる変化、あるいは追加に伴い、完全に正しいと確信が持てるまで、とにかく見る、見る、見る(Look, Look, Look)ことじゃ

そのような観察と実行を経て、ついに正しい動作を行えるようになって始めて次のステップに進むことが出来る

すなわち、依然として視覚的な観測やチェックのもとストロークを行うのじゃが、その際にどんな些細な気づきうることでも、そのストロークに付随して発生する「感触」をお主の精神にこまごま「記録」を行っていくのじゃが、それは正しく動作できたときも、正しく出来なかったときも両方行うのじゃ

そして次に、5-0の通り「クローズドアイ」テクニックを追加する

 

もちろん、この次のステップこそが、「感性のみ」によって動作を実行することを学ぶステージとなるのじゃが、時として視覚的なチェックを行い、確証のもと進めるのじゃ

これらステップは、お主のコンピューター(第十四章)のプログラミングを作成、更新する際全てが必要となるのじゃ

 

最初に、新しく追加・変更を行う前のストロークを行ってみせ、次に新しいコンポーネントがどのように動作すべきかを視覚的に確認し、正しい動作、間違った動作をそれぞれ行った際にどのようなフィーリングの変化が発生するかを記録する

コンポーネントに新しく何かが追加・変更されることにおいて、フィーリングの変化が発生すると言うことはほぼ避けられないことなのであり、またその新しいコンポーネントのために、全体的なストロークパターンのフィーリングに変化が発生する可能性もあるのじゃ

しかしこれは通常、全体としてのストロークの、位置関係における許容範囲を引き上げる(つまりシビアになる)という程度のものにおさまる

なぜならば、新しいコンポーネントにする以前のコンポーネントでは、いささかルーズな部分が発生していたために変更が必要になったのであるから、それを変更することによってより精度にこだわる感覚に変化するようになることが自然だからじゃ

 

当初その新しく追加されたものは、その時点においてはとても重要なものに感じるじゃろうが、それが消化され、ストロークの全体像の中にしっくりと吸収されるようになってのち、始めてその真価が発揮され始めるのじゃ

全ての要素は、最終的には同等の意識、あるいは価値観を持って迎えられることとなる

もちろんトラブル状況や、キーとなるコンポーネントに特殊な活用が要求される場合を除くが

そしてそれら感性が完璧なものになるにつれ、お主は「厳格なる演者」としてインパクトに最大の注意を傾けることが可能になるのじゃ

 

習得すべき正しい技術を得る代わりに、悪い技術の練習時間でカバーしようとする試み、あるいは、悪い動作の原因を突き止める代わりに、悪い結果を排除しようとする試みはいずれも無限とも言える時間を浪費することにつながるので注意が必要じゃ

 

爺の時代より今のおいらたちは

・スマホや計測器ではるかにお手軽に自分の現状を観察することが出来る

・たぶんクラブやボールも相当進化している

はずだけど、アベレージゴルファーのスコアがその時代と比べてそんなに良くなっていないと言うことは、この章に書いてあることを姿勢として受け止めきれていない可能性があるねー

ゴルフの道具ってものすごい選択肢があるし、自分にあったもの、自分の欠点を補正してくれるものを選んで使うのはゴルフの楽しみ方の一つだと思うし、今後計測器とフィッティングの精度もますます向上していくはずだからそういう傾向は強くなると思うけどー、自分のストロークのコンポーネントを良いものにしていくという考え方も大事だと思うよー


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インストラクターの指導の翻訳

TGMにおける、動作の機械的、幾何学的な要件を自分の感性に落とし込む作業、つまり「翻訳作業」の話のつづきだよー

 

3-A インストラクションの翻訳

ここでいま一つ考えておかねばならぬ「翻訳」というものがある

すなわちそれは、お主のインストラクターの「指導」を、お主の感性に通用する言語に翻訳すると言うことであり、TGMを読むということもそれに含まれる

正しく翻訳がなされた場合のみ、正しい活用が可能となる

そこにおいて、その方法とは幾何学的、あるいは技術的に意味をなすものでなければ、その翻訳が正しく行われたとは言えないのじゃ

そしてもし翻訳が正しく行われたとしても、良い結果を導かないのであれば、それは実行における何らかの不具合が発生していると言える

不必要に、あるいは必要以上にお主の解釈をねじ曲げるべきではないが、身体的特徴、あるいは特別な意向に沿う目的があれば仕方のないものと言うこともできるじゃろう

同じバリエーションにも、さらに細分化されたバリエーションが存在することも避けられぬと思うが、第七章にて規定しておるその基本的な機能から逸脱することがないようにすべきじゃ

 

本書は、「補填的要素のないストローク」をそのゴールとして掲げており、そのためのガイド、あるいは進捗の管理が出来るようにすることを目的としておるが、それが達成できなければ全ては無意味であるとまでは要求しておらぬ

身体的な制約、個人的な意向、あるいは特別な目的の為に「補填的」行為を行う事は、ある意味で特別な技術と言うことも出来る

しかし、もし間違った実行のために望ましくないボールの飛び方が発生しているのであれば、そこにオススメできる「補填」は一つしかない

(その原因である悪いクセを)「なおす」ことじゃ

原因と対策がハッキリとするまでラウンドを我慢し、たとえ満足のいくボールが出ないとしても、しっかりと正しいコンポーネントを習得するための努力をおこなうことじゃ

さもなくばゴルフ人生のその生涯にわたって悪い「補填」のペナルティを受け続けるハメになるのじゃ

 

なんて訳しやすい英文なんだろうねー

この文章って半ページくらいなんだけど、ここではとても重要なことを言ってると思うよー

つまりゴルフの習得には「機械的・幾何学的」要件と、それを実行するための「感性」の要件があるということだけど

例えばおいらが自分と体格の近いルーク・ドナルドやベク・キュジョンと同じようなスイングを出来るようになりたいと考えて、ビデオ駆使してそれをとにかく細部までマネして同じような動作ができるようにすることは可能かもしれないよねー

全てのアングルや各コンポーネントの移動速度まできっちりマネしたら、もしかしたらルーク師匠やスヒンちゃんと同じようなボールを打てるようになるかもしれない(そう簡単にはいかないと思うけど)し、その過程でどういうフィーリングで振ったらそういう風になるのかというのも分かってくるかもしれないよねー

こうしたプロセスは、機械的・幾何学的にある程度「説明のつく」手法だと思うよー

 

でも指導の現場で、「理想的なプレーンアングルはこの番手だと60°ですが、今あなたは55°になっていますので60°になるようにしましょう」という「説明言語」だけでは事実ではあるけどやっぱり限界があって、「吊してあるロープを下に引っ張るように」とか「早い段階で前倒し」とか、そういう言語も出てくるでしょうと

つまり機械的・幾何学的見地からすると曖昧だったりするけど、感性を伝えるという点で有効な可能性のある言語もあるとおいらは思っていて、こうした言語を仮に「表現言語」と言うとするよー

 

某有名コーチのお言葉で「ダフれ、ボール見るな、後ろ向いて手打ちしろ」ってのがあるけど、本当にその言葉の通り機械的・幾何学的に「ダフる」としたらそれはダフっているよねー

なので「ダフるくらいのつもりでクラブと両手を下げきる気持ちで振ると、TGMで言うところの3Dインパクト(下に、外に、前に)の「下に」成分が発生して良いインパクトになる可能性が高い」とコーチが思ったときに「表現」として使っている言葉であって「説明言語」ではないと言うことだよねー

ちなみに「ボール見るな」も、ボールを見ようとする意識が強すぎると、ボールにヘッドをぶつけようとするTGMで言うとこの「ボールハッカー」になりやすいし、「後ろ向いて手打ち」はヒップターンが速すぎでTGMで言うとこの「両手の通り道」が阻害されている場合に有効な「表現」だと思うよー

 

で、インストラクターに指導を受けるのでも、レッスン本やサイトから情報を得る場合でも、その言語が「説明言語」なのか「表現言語」なのかを見極めることがとても大事だと個人的に思うよー

でもってインストラクターは、どういう言語を使えば、その生徒はどういうリアクションを示すのかを観察しながら効率の良い言語を選んでいく能力が大事だと思うよー

ちなみに「インパクトはアドレスの再現」は表現言語だよー(たぶん)

 

ちなみにTGMは基本的に「説明言語」で出来ているけど、「表現言語」を使う場合はあたかも(AS THOUGH)、びちょびちょのモップを地面に引きずるように」とかのように、かなりハッキリ「これは比喩表現だよ」って言ってるから、このサイトではその辺も原文の雰囲気を損なわないようにやってるつもりだよー(キリッ)


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コンポーネントの翻訳

3-0 概要

ゴルフにおける相対的なスキルを習得する上で重要なことは、個々のコンポーネントにおいて当初発生する、意識的、計画的、機械的な操作というものをなるべく削減し、それらが完全に一体感を持つ状態に向けて「計算し尽くされた”感性” - Computerized "Feel"」として翻訳するプロセスにあるのじゃ

その上で各コンポーネントの持つ特徴や役割を失うことなく、かつ都度の状況に応じた特別な目的の為のバリエーションの選択に至るまでがはつらつと行われるようにならなければならぬ

第九章にあるとおり、どの方法を選択するかに関わらず、お主のゲームは改善されていく

すなわち、両手を教育(5-0)することによってフラットレフトリスト(4-D-1)が機能すれば、お主の両手は即座に第八章にある全てのセクションにおいて、「機械的要件」から「感性」への翻訳を行えるようになる

お主のベーシックモーションは、やがて「後ろに上げて、落としながら外へ」という単純なものになり、7-23にあるとおりそれはドライバーからパットまで同様のものと感じるようになる

お主のトータルモーション(第十二章)は、単にベーシックモーションにコンポーネントのバリエーション(第十章)を必要に応じて追加させただけのものになる

お主がさらなる向上に向けて努力することは、それまでのトータルモーションの感性に何らかの変化を加えると言うことなのであり、必ず感性の変化を発生させる

そうして新たに習得された感性が、お主のトータルモーションの開発の「現在地」となっていく

新たな要素の習得にあたっては、慎重に考えた上で、クラッシュもしくはリレイティブ(3-C/D)の双方の翻訳方法を選択していくことじゃ

しかし、いずれの方法を選択するにせよ、「リズム」は常に最高の優先順位にあることを忘れぬ事じゃ

 

ついにTGMでも最高に面倒くさい第二章が終わって、今おいらは最高にホガラカな気持ちでこのパートを書いているよー

TGMでは幾何学と物理学の観点からゴルフを説明しようとしているから、そういう現象って数値化は比較的簡単だけど、文章にするのはなかなか難しいわけでそれがTGMが難読とされている理由でもあると思うけど

各ゴルファーが最終的にゴルフを出来るようになるには、各動作が正確に定義された上で「じゃあそれはどうやったら出来るのか」を追求しなければいけないと

で、それはつまり「正確な動作が出来ているときの自分の感性を記憶する」ということだと爺は言っていて、TGMではそれを「翻訳(Translation)」と言ってるわけだねー

で、この「翻訳」が上手く出来るようなると、それらを集合させて自分の中でのショートカットキーが出来てくると

つまり、24のコンポーネントが完全に機能しているのに、本人の感覚としては「上げて下ろしているだけ」になるのかもしれないし、「手は何もしません。身体を回すだけで打てます」になるのかもしれないし、無意識に出来る正しい動作のコンポーネントが増えるほど、その人のゴルフは単純なものになっていくと思うんだよね

で、同じ感覚で「身体を回すだけ」で打ってたら、なんか良い球が出なくなった(調子が悪くなった)時は、どこかのコンポーネントが機能不全を起こしているわけだから、そこを物理的、幾何学的に解析してやり直すことから始めればいいじゃんと

爺の時題はともかく、今の時代は映像解析だの弾道計測だのの技術は格段に上がっているわけだから、今の方がTGMはより活用がしやすくなってるんではないかとおいらは思うよー

 

要注意なのは、今回の記事がまさにそうなんだけど、

幾何学的、物理的に正確に記述する文章→難読

感性、精神に訴えかける文章→読みやすい

というのは、ゴルフの上達とかレッスンにも当てはまることで、

「もう少しトップの位置を高くしましょう」というのはやる側は今までと違うことするわけで「違和感」があるけど

「もう少しフックグリップにしましょう。ほら曲がらなくなりましたね。ナイッショー!いいですねー」というのは極めて「気持ちいい」わけなんだけど

後者の「気持ちよさ」を求めすぎるとたぶん良くないからね

たまには自分のスイングをスマホなりで撮影して、幾何学的、物理的な状況を確認することが大事だと思うよー

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写真やイラストと全体像

 2-R 写真やイラスト(Pictures)について

本書で収録しておる写真およびイラスト(Pictures)は、メカニクスのビジュアル的な説明であり、文章の説明と相伴って理解されるべきものじゃ

各イラストおよび写真に伴っておるキャプチャーは、単にその図の表題を示しておるのであって、それ自体が説明であるというわけではない

またそれぞれの図には照会用のナンバーが振られており、それらはその図が載せられておる本文の表題の番号に対応したものとなっておる

これは実用的なはなしだよー

しかしそれぞれの図が表現しようと意図しておることは、あくまでその項において論じられておる事についてのみであり、それ以外の側面について(たとえ図やイラストがそのような側面を持っていたとしても)表現をしようとする意図はない

例えばルーク師匠は「バックスイングでは左肩がアゴの下におさまっているのをしっかり確認する」って言ってるけど、その時の写真で若干ガニ股気味になってるからと言って、「左肩をしっかり入れるにはガニ股であることが重要」ってことじゃないからなってことだと思うよー

つまりこれは写真やイラスト(Picture)というものの危険性を指摘しているよー

全てのコンポーネントは二つの側面を持っておる ー すなわち個別の側面(一枚の絵)と、そのコンポーネントが関わっておる様々な要素(複数の絵)じゃ

理解を完全なものにするということは、これら個別の視点と、全体における関係性からの視点の二つの側面から理解をしているということじゃ

ここでは各コンポーネント理解するという概念的な議論を、同じ"Picture"と言う言葉で表現しているけど、このように同じ主語を使いながら全く別の議論を進めることを、英語では「悪文」と言うから気をつけてネー

 

もし図に振られた照会番号が、「#2」のような形で終わっておる場合、それらはその項で説明されておる同じお題におけるシリーズであることを示しているのであり、その順番はその項の議論をより明確にするよう意図して振られておる

 

また何らかの印が付されておる場合は、その項で説明したい動作の流れや方向、あるいはキーポイントとなる位置などを表現したい場合じゃ

 

写真やイラストが描写したいものは、まさに描写しようとしているもののみなのであり、そこに何らかの拡大解釈あるいは二次的解釈を行えるような誤差は可能な限りゼロであって欲しい

なぜならこれらの図やイラストは、極めて注意深く、専門的な見地からその描写がなされておる

"Close"という単語は重要じゃが、蹄鉄の両端が「閉じている」という場合にも、ゴルフ場が「クローズしている」という場合にも使えるが、こうした例は教科書ではできる限り少ない方が良いのじゃ

それぞれの図やイラストは、そのお題における理想的な状態を描写しておるので、一つのゴールとは言えるかもしれぬが、その図の通りになっていることが目標なのではないので、各項で描写したいものの目的が何であるかを見据えることが重要じゃ

じゃあもうちょっとわかりやすい文章書けよって世界中がツッコミ入れてると思うけどねー

 

2-S 全体像(Whole Pictures)

何度もくどいようじゃが、この本には全てのゴルファーにとって、その個人が人生において使用するであろう以上の情報が盛り込まれておる。

しかし第十一章において表示されておるチャートがしっかりと活用され、その統合性、一貫性および完全性が理解されれば、本書の全てを知ることはそれほど難しいことではない

 

もしかするとこの情報を表現できる別の構成方法があるのかもしれぬが、本書はそれなりに努力して、付随するあらゆる情報をごまかすことなく、一般的な読者の集中力で、個別の情報を一つ一つ理解するところから、際限なくそれらの関係性や理解を深めることまでを可能にする構成にしたつもりじゃ

とはつまり、あらゆる原理原則の個別の性格をしっかりと見極めたということじゃ

 

「全体像(Whole Picture)」とは、個別の特定の分野における数々のイメージを、お主の「トータルイメージ」として組み上げたものじゃ

初めのうち、個々のイメージと全体のイメージはその関連があいまいで、決して組み合わさる事はないじゃろう

しかし丹念に努力と経験を重ねたのち、継続することでその個々のイメージの輪郭がハッキリと現れ、光り輝くようになり、おぬしの「画集」として一冊に調和されることになるのじゃ

個々のイメージを作り上げる中で、「失敗作」が出てくることはやむを得まいが、今日の失敗作を昨日のものにすべく日々精進を重ねるのじゃ

 

必要な全ての情報は、それは期待したとおりの、あるいは予測した通りの文脈の中ではないかもしれぬが、本書の膨大な言語、あるいは明確な結論のなかにある

あらゆる要素を移動、あるいは再配置させようとすることは、全体としての構成に混乱をきたすのみなのじゃ

しかしどのような個人も、そのストロークパターンの中に"X"印のついたコンポーネントを抱えることは仕方のないことと言える

それらを克服する方法が最終的に理解出来れば、その個人はいつでも本書に戻って正しいマシーンの整備に取りかかることが出来るはずじゃ

 

最後に、索引をとにかくフル活用する事じゃ

こんがらがってパニックになってはならぬ

そこには必ず求めるべき単純化の道が残されておるはずじゃ

お主が求めるべき情報について、百科事典で物事を調べるのと同様に、どのページどの記述がその答えになっておるかをリサーチする技術を洗練させることじゃ

 

まぁTGMが読みづらいと言うことについての言い訳なんだけどねー

TGMは純粋に構成主義というか、例えばF1マシンに例えると

これはタイヤじゃ。F1マシンでは路面との摩擦熱によって表面が溶解することでグリップ力を高めるスリックタイヤが主に使われるがそのバリエーション云々

これはエンジンじゃ。高出力および各速度での適切なトルクを確保しつつ燃費、耐久性を確保することが重要じゃがそのバリエーション云々

これはシャシーじゃ。軽量化と衝撃安全性を確保するにはカーボンモノコック素材が主流となるがそのバリエーション云々

という具合にやたら細かく構成部品の説明が続く中で、世界中は

「で、どーやったら速く走れるんだ?」

って思ってるそのズレが永久に続いていて、まさに最終的な「全体像」であるF1マシンの完成形は「お主が努力してつくりあげるのじゃ」ってなって終わりという

 

そこへいくとベン・ホーガンというスーパーマシンの「モダンゴルフ」は

「オレのタイヤはこんな感じでぶっといぜ」

「オレのエンジンはこんな風に爆発的な加速を生むぜ」

「見ろよこのシャシー、強くて軽くて空力もゴキゲンだぜ」

となってて、誰もが納得する完成形(ベン・ホーガンというゴルファー)を見てるからそれだけで説得力が出ちゃうんだよねー

 

でもベン・ホーガンがやってることを、一般人がマネできるものなのか、あるいはその過程で学ぶべき事が本当にあるのかと言われるとどうなんだろうと

ベン・ホーガンは到達した「境地」を見せているとすると、TGMは上達の為の「道しるべ」を示しているわけでアプローチが違うからしょうがないけど、かなり宗教的に修行というか努力を継続出来る意思がないと(結局それがないとダメなんだろうけど)読んでも苦痛でしかないんだよねー

そう考えると武道とかに慣れ親しんだ日本人の方がTGMを受け入れやすいと思うのはおいらだけでしょうか

 

やっと第二章おわったよー(涙)

自分で自分を褒めてあげたい

今回も文章ばっかだから癒やし画像のっけとくよー

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森美穂プロ (C)ALBA

森美穂プロ2nd QT通過おめでとう!


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