ザ・ゴルフィングマシーンを勝手に解釈していくよ

ゴルフ史上最大の奇書と言われる「The Golfing Machine」を勝手に解釈していくブログ。

TGMものがたり その2

1939年、32歳にして初ラウンドで116、そして半年後の2度目のラウンドで77というスコアをマークしたホーマー・ケリーだったが、「なぜ」そのようなプレイができたのかを彼自身が解明することはできなかった。

どんなプロに聞いても「どのように」スイングするか、あるいはプレイをするかを提案してくれるだけで、「なぜ」そのようにしなければならないのかを説明してくれる人はいなかった。

 

1940年になってから、彼はゴルフの練習、ラウンドについて、気づいたことをノートにつけ始めるようになった。「なぜ」そのような結果になるのかを自分で探求するようになったのである。

同時に当時出版されていたまだ数少ないゴルフ本を読み漁るようになる。

先だつこと1933年、ボビー・ジョーンズの「How I Play Golf」という映画は大ヒット映画となったがホーマーがこの映画を見たかどうかはわからない。

幾つかの本を読んでいくうちに、ホーマーはある違和感を覚える。

「手はクラブにこのように添えられていること」

「正しいグリップ」

「正しいスイング」

あれだけいろんなプロがいろんな打ち方をしているのに、本当に「これが正しい」と言い切れる根拠は何なのか。結局のところ、ホーマーの「なぜ」という疑問を解決してくれる本には出会えなかった。

 

時は1941年、太平洋戦争開戦の年である。第二次大戦への参戦を模索していたアメリカには軍事需要が沸き起こる。ホーマーはクックシーのビリヤードパーラーのコックをやめ、ボーイングで爆撃機の開発スタッフとしての職を得る。とは言ってもそれは不具合解決のための実験スタッフで、臨時雇いに等しい給料だった。しかしそれはホーマーの生来の研究的、分析的嗜好に初めて適した仕事だったのかもしれない。

1950年まで、彼はこの仕事を通じて、技術文書のリテラシーを身につけたのかもしれない。戦争におけるマニュアルで、「操縦桿を素早く引く」と言ったものではマニュアルにならない。「何時の方向に、秒速何mの速さで」とせめてそのくらいの正確さでなければ、命がけの状況で行動することはできない。もちろんそれが実際にできるようになるまでには訓練が必要だが、少なくとも齟齬があってはならない。

 

この間ケリーは何度かの休職期間なども利用しながらゴルフをプレイし、ハンデは12になっていた。しかしゴルフへの疑問は全く晴れることはない。そして1945年に2度目の結婚をする。1952年離婚。

 

1950年代はアメリカのゴルフ文化熟成の年であった。ベン・ホーガン、サム・スニードと言ったスーパースターによってゴルフはメジャースポーツとなり、若きアーノルド・パーマーというニューヒーローの出現、それを後押しするようにメディアもゴルフダイジェストが1950年に創刊され、世は空前のゴルフブームを迎える。

 

1950年にボーイングを解雇されるが、ホーマーは海軍のドックでマニュアル製作を行う部署での仕事を得る。そして1955年に同じミネソタ出身で、生涯の伴侶となるサリーと三度目の結婚をする(サリーは二度目の結婚)。ともに子供はなく、サリーは簿記の仕事をしながらシアトルに家を購入、共働きでの生活を始める。リビングのピアノの上にはサリーの好きな音楽の楽譜、そしてサム・スニードの書いた「How to Play Golf」、ベン・ホーガンの「Power Golf」が並んでいた。

そして1957年、スポーツ・イラストレイテッドに今も伝説として残る連載が開始される。ベン・ホーガンの「The Five Lessons for Modern Fundamentals of Golf」(日本では「モダン・ゴルフ」として知られる)である。

ホーマーがTGMを書く直接的なきっかけになったとも言えるこの本を読めば読むほど、この本は「フックを克服する」マニュアルであるとの思いを強くしていく。ホーガンは若い頃キャディのアルバイトをしていて、最後に全員で球を打って一番飛ばなかった者が一人で球拾いをしなければならないという習慣のもと、ひたすら飛距離の出るフックを打つ癖をつけてしまった。

「多くのゴルファーは実際のところスライスに悩んでいる。この本に書いてあることを全て正しいと思い込んで練習をしても、世のゴルファーの救いにはならない」

 

初めてのラウンドから、二度目での77、そして以降ゴルフスイングの解明のためにひたすらマニアックにのめり込んできたケリーにとって、自分の概念を形にしないことはもはや罪悪のようにも感じるようになった。練習場でさまざなアマチュア、プロのスイングを観察し、情報を集め、分析し(これは彼のエンジニアとしての仕事と全く同じ方法ではあったが)彼の中で少しづつ「なぜ」ボールはそのように飛ぶのか、そして「どうすれば」ゴルファーはそれぞれに最適のスイングを探求することができるのかが、形になり始めていた。

彼は決意した。アイアンセット、パーシモンのドライバー、ライカのカメラ、そして物理学の本、ノート、これらを手にホーマーは退路を絶って職を辞め、TGMのベースとなる「The Star System of Golf」の研究開発に取り掛かるのである。1960年代初頭のことである。

 

すごいねーホーマーくん。50歳すぎでほぼ趣味の研究に没頭するためにまさかのヒモだよー。三度の結婚、そしてヒモ。なんか人に夢を見させる何かがあるんだろうねー。いるよねーこういう人。そしてサリーさんは彼を献身的に支えていくんだよねー。でもって対抗心燃やしたのがあのベン・ホーガンだよー!


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