ザ・ゴルフィングマシーンを勝手に解釈していくよ

ゴルフ史上最大の奇書と言われる「The Golfing Machine」を勝手に解釈していくブログ。

TGMものがたり その4

本を書くことと、その読者を見つけることは全く別の作業である。

何しろこの「The Golfing Machine」は書店に並んでいるのではない。新聞や雑誌に広告を出して、注文があれば郵送というスタイルである。さすがのホーマーもこれではどうにもならないことがわかっていた。

読者のゴルファーを見つけるために、練習場やコースにも営業をかけるがうまくいかない。そんなある時、教会の知り合いからある有名なコーチを紹介してもらえることになった。その人こそベン・ドイル、当時37歳の売れっ子レッスン・プロで、彼は1963年にはベン・ホーガンのクラブの全米No.1ディーラーでもあった。

1969年の12月の雨の日、ベンは自分が所属するゴルフコースで売り物のシューズの整理をしていると、カウンターごしに見知らぬ初老の男が立っているのを見つけた。メンバーではない。そして小脇に黄色い本を抱えている。

「ベン・ドイルさんですか?」

ホーマー・ケリーと名乗る男は、ベンと彼の共通の知り合いの名前を挙げ、少し話がしたいと言った。ベンはレッスンの希望者だと思った。あいにくの天気で今日はレッスンもなさそうだったので、「10分くらいなら」と応じた。

「あたなが非常に優れたコーチであることはよくわかっています。でも私はあなたがより優れたコーチになるための方法を知っています」そう言ってホーマーは一冊の本を差し出した。そしてホーマーは、TGMの24のスイングコンポーネント、フラットレフトリストを含む3つの必須事項、ヒッターとスインガーの違い、そしてTGMがゴルフの秘訣としている「Susutaining the Lag」について説明した。

 

「10分のつもりだった話し合いは6時間にも及びました」のちにベン・ドイルは語っている。「私は自分が良いコーチであるという自信は持っていました。ですがわたしのコーチとしての人生は『ゴルフを表現すること』でした。この本に出会うまでわたしは『説明』をすることができませんでした。ゴルフの普遍的な原理、原則のようなもの、そうしたものがどこかにあるはずだと潜在的に思っていたのかもしれません」

 

ベンはTGMを家に持ち帰り、通しで読んでみた。翌朝彼は自分のクラブに行き、自分の生徒にTGMの要素を応用したレッスンを行った。主に3つの必須事項と3つの本質についてである。その結果は素晴らしいものだった。

ベンはすぐさまホーマーに連絡を取り、ベンに知り合いのコーチにもTGMを紹介し、ホーマーの自宅で何度も勉強会を開くことになる。

ホーマーにもわかっていたことだが、TGMは一般レベルのゴルファーよりもインストラクターにとって有益な情報が多いのである。ある程度のゴルフ知識がなければTGMの内容を理解しづらいためと、プレイヤー個人にとっては情報が多すぎるのである。

 

ベンの助力もあってTGMに興味を示すインストラクターが増えてくるようになった。単純に本を売るという収益以外に、TGMを信望するインストラクターを組織化することで収益を得る方法を模索した。結果TGMはその理解度によって「学位」がつくという制度を導入し、これは現在のTGMにも受け継がれている。曰く「学士」「修士」「博士」というランクをもうけ、ヒエラルキーを作った。ベン・ドイルは「博士」第1号である。そしてTGMの理論をベースにコーチのビジネスを行う者に対して年間10〜200ドルのライセンスフィーを課した。

 

「あなたは有名なゴルファーやティーチングプロでもなければ物理学者でもない。この本を読んで有名になったプロがいるわけでもない」出版代理店にそう言われて失望しかけたホーマーは少しづつ自信を取り戻しつつあった。「あとはTGM読んで強くなったプレイヤーが出て来れば、この本の内容の有効性が証明できる」

 

1971年、TGMの2nd Editionが発行される。そしてこの年、ベン・ドイルはシアトルを離れ、いくつかのゴルフ場を経て、サンフランシスコの南、名門ペブル・ビーチ近くのカーメル・バレーGCに拠点を移した。

そしてそこで1974年、ベン・ドイルは当時13歳の少年、ボビー・クランペットとの運命の出会いを果たすのである。

 

すごいねー、ホーマーくん。アポ無し飛び込みでも営業力あるよねー。そして出会った人がどんどん協力者になっていくという。やっぱこういう人が教祖になっていくんだねー

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