ザ・ゴルフィングマシーンを勝手に解釈していくよ

ゴルフ史上最大の奇書と言われる「The Golfing Machine」を勝手に解釈していくブログ。

TGMものがたり その6

数々の学生・アマチュアタイトルを総なめにし、ボビー・クランペットは1980年夏、プロに転向する。世界最大のスポーツマネジメント会社であるIMG所属のもと、次世代のスーパースターとして期待されながらのデビューであった。

初年度は10試合に出場、予選通過6回、トップ30が4回という戦績であった。

ホーマーはこれをTGMのチャンスと見て、積極的な布教活動を行う。実際、現在もTGMの支柱的存在であるリン・ブレイク、トミー・トマセロ、マック・オグレディ、アレックス・スローンらは、このクランペットブーム時にTGM門下となったのである。

意外なことにホーマーとクランペットは直接会ったことはない。1979年に大学の遠征で日本を訪れている時、一度だけクランペットがホーマーに電話をして会話をしたことがあるだけだという。

クランペットは翌1981年に26試合に出場、トップ10入り8回、準優勝1回で賞金ランキング14位の成績を収める。プロ初勝利は目前と思われていた。期待された1982年の全米オープンでトム・ワトソン、ジャック・ニクラウスに次ぐ3位タイでフィニッシュ。そして運命のThe Open-全英オープンを迎えるのである。

クランペットは初日5アンダーで2位に二打差の首位に立つ。

翌日は6アンダーで回り、トータル11アンダーで5打差で首位をキープ。

三日目の第5ホールで7打差の首位となり、誰もがこの若きスターの初優勝初メジャータイトル獲得を確信した。しかし6番でティーショットをバンカーに入れ、果敢にグリーンを狙ったボールはまた別のバンカーへ、そして深いラフへ打ち込むなど大トラブルが発生する。結局ここで大きくスコアを落としたものの、3日目終了時点でも1打差で辛うじて首位をキープしていた。

しかし最終日でもトラブルに見舞われ、77でホールアウト、結局4日間トータルでイーブンパーの10位タイでこの大会を終えた。優勝はトム・ワトソン、2位にニック・プライス、そして日本の倉本昌弘が4位タイでフィニッシュしている。

トム・ワトソンは試合後こう語っている。「ボビー・クランペットにはかわいそうなことをしたね。彼は今泣いているかもしれない。でも僕たちだって何回も泣いてきたんだ。次に勝つのは彼かもしれない」

また別のインタビューではTGMとクランペットについて次のように語っている。「ゴルファーはマシーンじゃない。人間だからね。マシーンのように正確な技術を持っていたとしても、それを操るのは人間なんだ」

この年クランペットはジョージア州コロンバスで行われたサウザンカップでPGA初勝利を挙げる。しかし結論を先に言えば、クランペットはこの1勝のみでプロのキャリアを終えるのである。

全英オープンでのショックが影響を与えたのか、彼のマシーンは壊れつつあった。彼はベン・ドイル、そしてTGMから離れ、レッドベターや、後にタイガー・ウッズを指導するハンク・ヘイニーの指導を受ける。しかしかつての冴えは戻らず、1990年にシード権を喪失、Qスクールからの参戦を続けるが、1995年にCBCの解説者となる。

現在解説者、コーチ、コースの設計にも携わり、トップ50インストラクターの常連でもある。

1983年、まだクランペットが健闘を続けている頃、ある雑誌社からTGMの解説本を出す企画が持ち上がった。しかしその内容、表現をめぐってあろうことかホーマーとベン・ドイルは仲違いをしてしまうのである。

この時期、晩年のホーマーはTGMを事業として起動に乗せるために必死に活動をしていた。そのため出版にはホーマーの方が乗り気であり、ベンとの関係についても「ベンは最近TGMとは全く別の表現を用いてコーチをしているらしい」と不信感を持っていた可能性がある。あるいは、彼のマシーンもまた正常な判断ができない状態までに壊れかけていたのかもしれない。

そして事件は起こる。

20人のティーチング・プロを前に講習会を行っていたある日、ホーマー・ケリーは壇上で倒れるのである。心臓発作であった。そしてホーマー・ケリーはそのまま還らぬ人となるのである。享年75歳。

 

やっぱTGMってプレイヤーが熟読する本じゃないのかもねー

メカニックとドライバーがいてメカニックのマニュアルなのかもー

しっかしなんで晩年に恩人のベンちゃんと仲違いするかねー

広告