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第八章 正確性とその習得方法について(その2)

前回の文章はこちらです。

混乱の元凶となるのは、この観測者があるプレイヤーの特定の動作やアクションの細かな点を、そのプレイヤーの成功の本質的な要因と認識してしまうことにある。もし彼がどんなプレイヤーであれ、あるプレイヤーを注意深く観察したならば、そのプレイヤーがまさしく彼のベストのの状態のフォームでプレイをしている、あるいは彼がとりわけ良いゴルフをしているときに決まって現れる何らかの兆候に気づく事があるかもしれない。しかしそうした兆候は彼の目に止まらない可能性が高い。あるいはその考え方に疑問を持ち始めたとき、そのプレイヤーが良いゴルフをしているときは極めてシンプルにゴルフをプレイできているときであり、反対にプレイが悪くなってきたときは、何かとても難しいことに挑戦し始めて、さらにプレイを悪いものにしてしまうということに気づくかも知れない。

上記のような考え方が、プレイヤーのゲームを分析する上でどの程度的を得ているかどうかは別としても、プレイヤーにとって充分な飛距離と、方向性の制御をもたらすものは、正しいグリップ、正しいスタンスを伴うスムースでシンプルなストロークのみである。スイングのスムースさと再現性を促進するようなものである場合をのぞき、いつでも好きなときに正確な方向性とより一層の飛距離を実現する、便利な携帯用のデバイスのようなものではないのだ。

外見上の特徴の観点からゲームをプレイすることを学ぼうとしている諸氏が、名プレイヤーに共通しているある種の動作が重要であるという結論を主張していること理解する事は簡単である。しかしそうした共通動作においても程度の違いや派生が存在する事もあきらかである。ここで議論すべきことは、数多のプレイヤーが「良いプレイをしているときに」なにが起きているかということであるべきだ。プレイヤーが良いプレイをしているということは、彼らが基本的に「スイング」でプレイをできている証拠である。どのようにそれをなし得ているかは外見上の問題で解決できる問題ではない。しかしもし個人の独学で、またある程度の年齢に達してもその解決に至っていないのであれば、あきらかにそのプレイヤーは自分で実験するということを怠ってきたのである。彼が納得のいくやり方で、彼のニーズに即したやり方がいつか見つかるまで、トライアンドエラーを繰り返すという古い習慣にすがってきたのである。

この種の「実験」に関して言えば、それはおそらく広い範囲に及ぶものになる。グリップ、スタンスを変える、あるいはワッグルなど実際のスイングに入る前のボディの調節など、やがてそれらは少なくとも一時的には彼の問題を解決することとなる。現実的にそれらの変化は身体的ハンディキャップの改善にすらある程度影響を及ぼすと考えられるが、そうした一時の結果が精神的、心理的な面での救いになることはあり得る。彼の新しい発見が立ちはだかる恒久的な問題の解決につながっていると確信することで、このプレイヤーは心に落ち着きを取り戻すことができる。こうして、彼はよりスムースかつ再現性を持ったスイングに取り組んでいける可能性が高くなる。

私は、あるプロに非常に簡単な手順を踏んでもらうためにそのプロを雇い、そのプロと一緒にプレイをするときに7つから8つスコアを縮めることをしているある高名なビジネスマンのケースを知っている。全てのストロークにおいて、まずそのプロがボールに対してスタンスを取り、しっかりと足跡をつけ、そしてそのビジネスマンにその足跡の通りにスタンスをさせて打ってもらうのである。このビジネスマンは長年にわたってゴルフをプレイしているが、ストロークに際してどのようにボールに対して立つべきかということについて、まったく感性というものを持ち合わせていなかったのである。しかしこのプロのわずかな行為が良いスコアを生むという結果が指し示すことは、正しいスタンスは、このビジネスマンが正しいスタンスを取れているかどうかという疑念を払拭し、ストロークを実行するということだけに集中させることができるということである。

私がこのエピソードを紹介したのは、一つにはゴルフにおいてメンタルの側面(これについては次章でより詳細に言及する)がいかに強く作用しているかをお伝えしたかったという理由と、スイングの正確性という議題について「クラブヘッドをスイングする」というおそらくたった一つの本質以外に、いかに多くの不必要なデバイス的な議論が発生しているかについてをお伝えしたかったからである。実際にプレイヤーが問題を解決するためのお手軽なデバイスを求めて、現実にはもっとゴルフを難しいものにしてしまうケースはいくらでもある。「良いゴルフをするには」というのが議題である。問題を解決するための「間違ったグリップ」や「極端なスタンス」などは、こうした数ある悪いデバイスの例であると思う。(続く)

 

「スライスがとまらないんですよー」

「じゃあフックグリップにしましょう。思い切りフェース被せて持てばいいんです」

みたいなレッスンが実在するかは別として、そういう「クサイものにフタ」的な話はこの時代から結構あったということですね。

例によって写真は本文に何の関係もありません。

https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2019/03/09/gazo/20190308s00041000357000p.html

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