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第九章 メンタルの側面(その1)

ゴルフのどのような一般論においても、あるいはゴルフというゲームをいかに上手くプレイするかについての議論において、このゲームのメンタルの側面について触れる事は必須である。しばしば言われていることは、ゴルフにおける諸問題のかなり割合をメンタルの問題が占めているということであり、これは疑いようのない事実であるように思われる。ただしこれらの議論は、ゴルフの何をもって「メンタルの側面」と認識するかによる。もしゴルフクラブをストロークする際に、何を意識するべきなのかという問題であれば、あまり身のある議論にはならないと思われる。なぜならばクラブをスイングする際にさほど高度な思考というものは要求されないからだ。

 

一方で、もしこの問題が、実際のラウンドにおいてプレイをする際にどのような心がけで望むべきなのか、あるいはその複雑性についてのものであるならば、「メンタルの側面」は非常に重要な課題となるのであるが、それはプレイヤーのメンタルのプロセスは、意識的にせよそうでないにせよプレイヤーの肉体的活動を統括するものであり、その意識的なプロセスは無意識に行われるプロセスを阻害する支配的な性格を持つものだからである。よって程度の差はあれ、こうしたメンタルのプロセスは、かなり習熟したプレイヤーが無意識に正しいパフォーマンスを発揮できる状態を阻害する事があるばかりか、未熟なゴルファーがパフォーマンスを発揮する方法を学ぶことすら阻害する可能性があるのだ。

 

どんなプレイヤーにでも当てはまる例で言えば、あるプレイヤーがゴルフをしていて、とても調子が良かった場合、彼はゴルフ以外の日常生活における全ての動作と同じように、無意識によるコントロールを通じてプレイを出来ていたかもしれない。どのようなプロセスを経るにせよ、それらは最終的に筋肉の連動に落とし込まれるが、数え切れないほどの再現を行う事によってそれはやがて習慣的な、つまり無意識の制御下に置かれた動作となる。ひとたびこのような状況を達成してしまえば、そのパフォーマンスが必要な時にはいつでも、それをどのように行えば良いかという意識的な模索を必要とせずに実行に移す事が出来るはずだ。

 

例えば自分の名前をサインする時のことを考えて欲しい。おそらく読者諸君は自分の名前を何千回もサインしてきたことと思うが、そのどれを取っても実質的には同じものと認識されるレベルのサインを何度でも書いてきたはずだ。さらに言えば、諸君はそれを腰掛けて知人とおしゃべりをしながら、あるいは全く別の事について考え事をしながらでも実行してきたはずだ。ではここで簡単な実験をしてみてもらいたい。まずいつもするように、ご自身のサインをいつものように書いていただきたい。次に、その下のスペースに、今書いたサインをそっくり精密にコピーすることをしていただきたい。その際ペンあるいは鉛筆が各文字をはっきりと書き写すことを順番に行えるように意識して。そしてできあがった二つのサインを見比べてみて、その違いに着目していただきたい。

 

おそらく、オリジナルのサインのほうが優しく、スムースで、ペンの自然なアクションが流れるようで表現力も豊かなのではないだろうか。その筆跡を描くためには自由でゆったりとしたリズムが存在していたはずであり、実際ものを書くという作業においてペンのリズムというのは非常に重要なものなのである。そしてリズムは、当然のことながらゴルフにおいてボールを正しく打撃するために最も本質的に重要なものである。つまり、意識的に制御される結果と、無意識に行われる制御の結果では、そのパフォーマンスには永久に交わらないほどの差が存在するのである。

 

クラブヘッドの動きを意識的な制御によって変化させようとするいかなる衝動、あるいは試みによってゴルファー本来のパフォーマンスを阻害してしまうケースは、ビギナーにもエキスパートにも発生し得る。後者の場合、それは時としてそのゴルファーの本来のフォームからの逸脱という形で現れる。前者の場合、そのゴルファーが恒久的なプレイの改善を行うための基盤となる、正しいストロークを行うためのルーティンを開発することを学ぶ過程でのトラブルとなって現れる。

 

エキスパートの場合では、結局のところそのプレイヤーが正しく集中する事が出来なくなってしまうわけだが、このことはしばしば私にとって「集中力」という言葉が、ゴルフ界では大半の人々によって誤解されている言葉なのではないかという疑念を抱かせる。「良い集中」とは、ストロークのある細かい点について積極的に思考している状態を意味するものではなく、むしろ逆であって、あらゆるストロークの詳細についての疑念を払拭し、自身の注意力を吸収することである。しばしば、プレイヤーがまさにそのショットを放とうとしているときに集中をし過ぎるために、そのプレイヤーがストロークにおけるほんのささいな注意点が気になってしまう、あるいは、より悪い場合にはそのショットの悪い結果を想像するあまり、彼の筋肉のシステムがもはや本来のスイングを行うことが肉体的に困難になるまでに萎縮してしまうということがある。

 

とはいえ、ここで生じている問題は、このゴルファーがどのようにして再現性のあるよいゲームを行うのかという希望のもと、そのためにどうすれば良いスイングが出来るのか、あるいはどのような時によいスイングが出来るのかを探求するという、基本的な概念に横たわっている問題に未だ従属していると言うことに過ぎない。よってこれはある種、スイングを学ぶ上での重要なタスクを取り巻いている、「メンタル面の問題」という議論よりもやや高次の問題である可能制はあるのだ。

全然関係ないですがYouTube動画も第五弾をアップしましたよー

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