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第十七章 スイングをプログラムする - ゴルフにおけるメンタル面の諸要素について(その2)

カメラのシャッター音、あるいはせり出した木の枝

これはプロのトーナメントでしばしば遭遇する問題、つまりカメラのシャッター音とも関係がある。プレーヤーは、カメラマンがダウンスイング中にシャッターを切ったことで、集中力を乱されたためにショットが台無しになったと不平を言う場合がある。しかし前述の実験からわかるように、こうしたことが文字通りに起こることはあり得ない。前述の実験からわかることは、ダウンスイング中のシャッター音がショットに影響を与える可能性はなく、おそらくはボールが飛んでいく瞬間までプレイヤーに認知されることさえないはずである。ただし、バックスイング中にシャッターが切られた場合、プレイヤーはまさにスイングの集中力を乱されることが可能なタイミングでその音を感知する可能制はある。そしてプレイヤーは、それがダウンスイング中に発生したのを聞いたと感じるかもしれない。

当然のことながら、カメラのシャッター音は予期し得ないものであるが、前述の実験では、ゴルファーは少なくとも各ショットでライトが消える可能性があることは知っていた。このことは、実験の結果からカメラのシャッター音についての影響について結論づけることに脆弱性を与える可能性はある。

しかし、実際に実験を行った際には、各ゴルファーは、測定されるのはヘッドスピードだけであると言われていたのである。彼らは照明が落とされる可能性について知らされていなかったのであり、カメラのシャッター音と同程度には予想外だったはずである。

こうした実験は、当然同じ被験者に何度も行える性格のものではないため、継続した実験データが得られたわけではない。しかしこの実験の結果で興味深いのは、プレイヤーにとって予測外の事が起きた場合ほど、対応行動を取れる可能性は減っていったということである。つまり、スイングへの何らかの干渉が予想外であるほど、その干渉が影響する、あるいはそれに対して修復行動を取ることができるタイミングは早まる可能性があるということである。

しかしこれは我々も経験のあることではないだろうか。木の下からショットを打つとき、バックスイングのトップで木の枝に当たる可能性を認識している場合は、実際に枝に当たったとしてもスイングを停止して再試行することは比較的簡単といえる。ただし、枝の存在に気付いていない場合、または枝に当たる可能性がない場合は、何らかの干渉が起きたとしても停止することは困難、または不可能になるのである。

 

スイングの全体像のプログラミングは事前に行われている

これまでに述べたことはすべて、「それ」を超えると以降のスイングを変更できない特定のタイミングに関するものである。しかし、その時点より前に照明のスイッチが落とされたならばどうなるのだろう?被験者は、彼がその気になればショットを変更することが可能である。しかし、もし彼がボールに対してスイングを続けることを選択した場合、彼はまったく影響を受けずに続行すること可能なのだろうか?もしそうだとしたら、彼のスイングに影響を与えるためには、スイングのどのくらい早い段階で彼は視覚情報を奪われていなければならないのだろうか。

実験はこれらの疑問にも答えている。バックスイングのごく初期に照明が落とされた場合、そこではクラブヘッドがボールからわずか数インチ離れている状態となるが、ほぼすべての被験者が真っ暗闇の中でスイングのトップに到達することができ、完全に通常の方法でボールを打ち抜くことができた(もちろん、選択すれば停止することもできた)。このことはスイング中に適当なタイミングで目を閉じることで、実際に試すことが可能だ。

さて、これは何を意味するのだろう。このことは、ゴルフのスイングというものは、極度の精密性を要求される他のどんなスキルとも根本的に異なっているということを意味している。前述したように、精密な動作というものは、通常は視覚情報が脳に直前の動作の行動結果を、次の動作が開始する前に伝達することで、連続的にステップを消化していくようにして行われる。ゴルフスイングではこれを行う時間がないため、脳は一連のイベント全体を事前にプログラムする必要がある。筋肉の動作が実際に始まるより前に、脳は全体に必要なすべての指示を高い精度で指示しているのだ。

このシステムに介入して他のものに書き換えることは、ひとたびオペレーションが開始してしまえばかなり困難になり、特定の段階以降では不可能となるのである。よって当然のことながら、適切なセットアップを行い、集中力を高め、適切な瞬間が訪れるのを待つという、ゴルフの神髄とも言える行為に現れるのである。

多くの面で、ゴルフにおける脳の役割は、戦闘に臨む司令官になぞらえることができるだろう。しかしこの司令官は、彼の事前の状況把握および判断に基づいて、行動計画を戦闘の開始前に立案しなければならず、戦闘が進むにつれて進捗報告を受ける予定もないため、その後のアクション全体で何ら計画を変更することもできない。同様に、ゴルファーはスイングの開始前にすべての考えを整理しなければならない。そしてそのためには、スイング中に何を行うのかについて、何らかの理想的な結果についてのイメージを持っていることが必要になるだろう

 

スイングの前にいくつかのチェック。「一つのキーとなるイメージ」

どのようなスイングであっても、一度に1つか2つ以上のことを意識することは現実にはほぼ不可能である。これこそが初心者が、特に一度に過多の指示を与えられた場合に、ゴルフを学ぶのが非常に難しいと感じる理由である。またティーチングプロが、最初にグリップとスタンスを教える理由の1つでもある。生徒側は、全体のプロセスを始動させる前段階において、それらをできる限り適切な状態にすることを習得にするのに、相当の時間を要する場合もある。一般に信じられているほど、正しいグリップおよびスタンスが、そこまで重要であるのかは疑わしい。とはいえ、グリップとスタンスはある程度正しく理解し、慣習化することは容易であるため、熟練したゴルファーのようにボールにアドレスできると感じることで、初心者の学習意欲を向上させることはできるだろう。

バックスイングの初期動作、あるいはそのように感じていることも、準備に時間をかけることができるものであり、このことは非常に重要である。したがって、よって上級者であれ初心者であれ、全てのゴルファーはこれらを適切な状態にするために時間をかけられることを活用すべきといえる。次にスイングにおけるもう一つの概念について焦点をあてたい。

一流のゴルファーにとってこれが問題となる可能性があるのは、彼らはあまり考えなくとも良いスイングを行える可能性が高い。エンジョイゴルフであればこれで良いが、競技においては、ネガティブなショットイメージをブロックするためだけに、すべてのショットについてポジティブなイメージを持っておくことが必要となる。

これらポジティブなイメージは、ほぼどんなものでもよい。文字通りイメージのみであるため、全く現実的な意味を持たない可能性すらある。しかし、そうしてイメージされたものが、プレイヤーに何らかの理想的な(現実にそれが不可能である場合でさえ)「感覚」を想起させることによって、実際に好影響を及ぼすのであれば、それらは極めて大きな意味をなすのである。そうしたイメージは、例えば単に理想的なショットの飛球線の画像を想像したものかもしれないが、多くの場合はスイングにおけるある特定のポイントに関連するものである場合が多い。

例えばフォロースルーは、厳密に機械的な意味ではショットに影響を与えることはできないはずだが、重要な概念の正しい発信元となる可能性はある。従い、「ボールを打ち抜いて少なくとも1フィートは、目標方向にクラブヘッドを真っ直ぐに、地面に平行に動かし続ける」と考えるゴルファーがいるならば、それ単なる思い込みである。実際にはそんなことは不可能であるし、仮にできたとしてもそのショットは通常のクラブヘッドのアークを描くショットより良いものにはならないはずであり、そもそもそんなことができればそのゴルファーはケガをすることになる。しかし、確固たるイメージを持ち、ある「一つの」シンプルな目的を持つことが、特定の個人にとってクラブヘッドを速く、スクエアに、正しくボールにコンタクトすることを助長するということはあり得るのであり、とはつまり良いショットになるのである。

ヘンリー・コットンはキーとなるイメージ概念を多数考案しており、(彼の本、「ヘンリー・コットン・セイズ*」を参照)、彼はそうした「キー概念」を「帽子を掛けるための出っ張り」と呼んでいる。またデイブ・マールは19665月のゴルフダイジェスト誌上において、数々の「キー概念」とそれらをビジュアルイメージ化したものを紹介している。これら「キー概念」の表現はしばしば変化するものであり、あるいは実際に変化し続けなければならないとも言える。さもないと実際のスイングの構造を破壊するほどの誇張した動作に変化してしまうからだ。適切に運用される「キー概念」、あるいはギミックは、当人のスイングを変化させるのではなく、良い状態に保つためにあるのだ。

とはいえ、いずれにせよ、プレイヤーはスイングを開始する前に、常に自分の「キー概念」を、頭の中で完全に明確にしておく必要はあるだろう。

*1962年 カントリー・ライフ社より出版

初心者のためのプログラムを構築する

こうした概念はすべて、ある程度ゴルフクラブをスイングする方法を体得しているプレイヤーにとっては価値がある一方、初心者に対してはあまり有益とは言えない。これまでの我々の議論を要約すれば、ゴルフにおけるすべてのショットの前に、プレーヤーはどのようなストロークをプレーする必要があるかを正確に決定し、ボールを打つために自分のスタンスを取り、次に脳で決定を下すことによって、筋肉群への命令がプログラムされたシーケンスのスイッチを入れる必要があると述べてきた。

しかし当然のことながら、初心者にはスイッチを入れるべきプログラムが存在していないため、彼にとって重要であるのは「ゴルフスイングを学ぶ」ためのプログラムを構築することである。

これが脳内で発生する正確なメカニズムはまだ不明であるが、これまでの他のスキル学習における研究から、かなり一貫したパターンが存在することが明らかになっている。良い例としてはモールス信号の学習が挙げられる。

オペレーターがモールス信号を学び始めると、最初はドット、あるいはダッシュがアルファベットの個々の文字を示していることを認識する。より熟練するにつれ、彼は単語全体、そして後にはフレーズ全体を表す記号のより大きなグループに対応して解釈することが可能となる。そして対応できるユニットはどんどん大きくなっていくのである。同じことがタイピストやピアニストにも当てはまり、ゴルファーにも当てはまる可能性が非常に高いと考えられる。

初心者のゴルファーが学び始めるとき、彼は身体のさまざまな異なる部分からの、多くの個々のフィーリングの存在に気づき、そして実際に動き始めるとき、それらを個別にチェックしなければならない。例えば、左肘が曲がっていないこと、手首のコックの正しい方向、頭部が動いていないこと、ショルダーターンが適切に行われていること、といった具合である。しかし、徐々に、たとえばバックスイングの動きを数千回繰り返した後、彼は体の個々の部分からのフィーリングに気づかなくなり、代わりに個々の動作を、より全体的なものとして捉える感覚を得るようになる。そしてこのおそらく動作のユニットの大きさが、ダウンスイングを含むように拡大されていくのである。そして再び長期間にわたって、および度重なる再現を経て、スイングを統合された一つの動作として「感じる」ようになっていくのである。

ひとたび生徒がある程度コツを掴んだ後は、身体の独立した部位の個々の動作に過度の意識を払うあまり、動作全体の連続性とリズムへの意識をおろそかにすることがないように注意するべきである。このため、プロのトーナメントの観戦に訪れることは、多くの場合あらゆるレベルのゴルファーにとって有益なのである。グリップやスタンスなどの特定の技術的なポイントについて着目するよりも、スイングのタイミングや全体的な流れについて全体的な印象を受けることは、少なくとも一時的にはその生徒のスイングに良い影響を与える可能性が高い。

映像で自分のスイングを観ることは、とりわけ熟練したゴルファーの映像との比較ができる場合、同様の効果があると考えられる。もちろん、熟練者と比べれば技術的に劣っていることは明白になるだろうが、スイングのタイミングとリズムを印象として受け取ることが主な効用であり、これはプロと言えども簡単に言語化することができない領域のものだからである。

熟練したゴルファーは、動作を一連の動きとしてではなく、完全なユニットとして理解しているために、初心者のスイングを詳細に分析するということについては、ある意味最も不的確な存在なのである。熟練ゴルファーの動作は、全体が非常にスムーズかつ迅速に続くため、それを説明するとなると、しばしば漠然とした言語で話すことしかできないため、生徒にとってあまり意味をなさない。よってこのような場合、説明よりも実際のデモンストレーションの方が有益である。

しかしながら、高度に専門的なティーチングプロは、どのようなフレーズを使えば最も効果的に生徒の理解が得られるのかを、長い期間の経験によって学んでいくのである。そうした専門家にとってはこの章の議論は特に興味深いものと言えるかもしれない。

注)画像と内容は何の関係もありません。

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