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第二十一章 グリーン上の科学(3)

テクニックと「けいれん」

パッティングにおける何らかのテクニックを推奨するという議論では、我々にはできないことがあるということを認めておく必要がある。パットは強く打つ必要がないという単純な理由により、メカニズムとして許容可能な手法の範囲は、ドライバーやその他のフルショットに比べて遥かに広くなってしまう。ドライバーショットにおいては、実行可能なスイングの手法を厳しく制限している一つの条件は、クラブヘッドを可能な限り速く動かす目的のもと、身体の多くの部位から発生したエネルギーを結集させなければならないということである。しかしパッティングではこれを行う必要はなく、そのため基本的に要求されていることは、その手法がメカニズムとしてシンプルであるということだけだ。

しかしパッティングは、ドライバーショットと同様かそれ以上に、事前にプログラムされていなければならないイベントであることを忘れるべきではないだろう。ダウンスイングの所要時間は通常0.2秒ほどで、一般的なドライバーショットのそれよりもわずかに短い。またフィニッシュまえの時間で言えば、ドライバーショットが1秒ほどであるのに対し、パットは0.5秒ほどで終わる。よってパターヘッドをボールに戻してくる際に疑問を差し挟む余地はない。ドライバーやその他のショット同様、ゴルファーがひとたびダウンスイングを始めたならば、彼の「コンピューター」が事前にプログラムしたとおりの方法でボールを打撃することにコミットするだけだ。

非常に短いパットでも、そのバックスイングを始動するのに非常に困難が伴うゴルファーがいるのは、一つにはこのことが原因である可能性がある。そうしたゴルファーは、ボールがカップまでほんの12フィートに位置し、パターヘッドをその後に構えた状態で、それでいて何らかの理由でパターヘッドのバックスイングを開始できずに立ち往生している。ある者は一度構えを解き、再びルーチンをやり直す者もいる。そうしてついには自らの神経を突き刺すように、あるいは「けいれん」するような動作と共に、そのパットを6フィートもオーバーさせてしまうか、はたまたラインを逸れてしまうか、カップインさせる者もいる。

こうした苦痛は、パッティングの動作が馬鹿馬鹿しいほど単純でありながら、結果が失敗に終わったならば、少なくともそのゴルファーにとっては非常に深刻な事態に陥るという、認識に根ざしている可能性がある。その結果、ラインや強さに集中するよりも、そのゴルファーが行わなければならない動作に刹那的に意識を向けてしまうということが起きるかも知れない。オートマチックで統一された動作であるべきものを、独立した多くの小さな動作を調整することに意識を傾けるという、複雑な問題にしてしまうのだ。彼は世界中で何度もこの動作を実行してきたにも関わらず、前述のとおり、ひとたび始動すれば、それを止める、あるいは変えることはできないことを知っている。このような状況下では、彼の脳内では不安と疑念が交錯し、実行命令を下すことに戸惑いを感じるかもしれない。

もしこれがパッティングにおけるメンタルプロセスに横たわる状態の説明として妥当なものであるとすれば、どのような救済策が考えられるだろう?

本質的には、このような状態に苦しんでいる場合、程度の差はあれ、パッティングをオートマチックにパターをスイングする動作に再生する、つまり考えずに実行できる状態にすることが必要だ。一つの方法は、全てのパットにおいて共通の一連のルーティンを行うことだ。ボビー・ロックが行っていたものでは、二度の素振り、ボールに構え、パターヘッドをボールの前に置く、次に後に置く、打つ、というものである。重要なことは、ルーチンの詳細ではなく、プロセス全体が一つのユニットになっているということだ。つまりバックスイングを開始することが第一段階なのではなく、直前に行った動作から意識的な努力をすることなく最後まで連続させることだ。

しかし多くのゴルファーにとっては、こうしたやり方を自分のものとして作り上げることは困難である。「けいれん」を治す最善の方法は、パッティングの際に何か他のことを考えさせることである。つまり、パッティングをより難しいものに見せるか、何か違った様子のものに見せるか、あるいは本当に全く無関係の問題で頭をいっぱいにしてしまうといったことである。この点、パッティングのスタイルの変更は有効であると考えられる。またそれが完全に異なるスタイルへの変更であるほど効果的であると考えられる。例えば、ホールに対して正対して構え、両脚の間でパターをスイングする、「クロケットスタイル」への変更などが良い例である。残念なことに、この文章を読む頃には、ルール制定委員会がクロケットスタイルでのパッティングを禁止しているならば、「けいれん」ゴルファーのためのこの特別な逃げ道は閉ざされていることになる。

もう一つのあまり知られていない可能性のある方法は、時に驚くほど効果的である。すなわち、構えたら、目をつぶるのである。多くの「けいれん」ゴルファーは、通常では恐怖でパンチが入ってしまうような23フィート先のカップに向かって、この方がクラブヘッドをスムースかつ正確にスイングできることに気づくだろう。

これらの「治療法」は双方とも、プレイヤーに何らかの異なる問題を想起させ、それがプレイヤーの意識を占有することで、クラブを動かすという作業をより低い意識レベルに追いやるという効果を導くものである。

これでも効果が出ない「けいれん」ゴルファーの場合、最後の手段として、ショートパットの際に構えを作りながら、暗算や、詩の暗唱をしてみるという手もある。ただし声には出さないようにすることだ。

プロはどうしているのか?

パッティングテクニックにおける一般的な問題に議論を戻せば、我々チームはプロゴルファーのパッティングスタイルに何らかの共通天を発見することを期待した研究を行ってきた。16人ものトッププレイヤー達がそれぞれ6フィート、20フィート、50フィートのパッティングを行う様をハイスピードカメラで撮影するといったテストも行った。しかしこのテストでわかったことは、類似点よりも多くの相違点が明らかになったということであった。例えば広いスタンス(最大値はスウェルの両かかとの間が14インチ)から、狭いスタンス(フォークナーの現在nやり方では、両かかと間の距離が1インチ)、また両つま先を結んだラインからどの程度の距離にボールをセットするかについても近い、あるいは遠い傾向が見られ、あるいは長いバックスイングと短いバックスイング、また長いフォロースルーと短いフォロースルーについても全ての組合せのパターンが発見された。またボールに対してパターヘッドを加速させながら打つ場合、あるいは原則させながら打つ場合なども様々な方法が採用されていることがわかった。

パッティングのセットアップにおいて、唯一プロが一定の共通の尺度を示したのは、ボールの位置と、頭部の位置であった。プロの大半は、ボールを左足の反対側に置き、またその際両眼はボールのほぼ真上に位置していた。

単純性と自信

したがい既に述べた、メカニズムとしてできる限り単純な方法で対応するという必要性を超えるレベルで、パッティングのテクニックについて語れることは多くないのである。プレイヤーがひとたび、いくつもの実現可能な「単純なメソッド」のうちのどれか一つを採用したならば、パッティングはほぼ「どれだけ自信をもって臨めるか」という問題になるのである。パッティングにおける様々なギミックのほとんどは、何らかのポジティブな考え方を提供する事によって、自信を高める手段に過ぎない。

この「自信」は、「全力をだしきる」ドライな−ショットよりも、パッティングにおいてより重要なのである。パッティングのヘッドスピードでは、そこに発生する慣性がスイングを適正化してくれることはほぼ期待できないため、一つの単純な目的を意識しておくことが有用であり、またそれが物事を複雑にするものではない限り、その目的が何であるのかはあまり重要ではない。従い、鋭くタップする、あるいはスムースに流れるような、といった対極に見える二つの方法は、いずれもプレイヤー個々にとっては良い効果を生み出す可能性がある。同一プレイヤーの場合でさえ、ひとつの方法によってタッチが失われてしまったならば、全く異なる方法にスイッチすることで効果が見られる場合もある。その方法が「正しい」と感じる限り、それは正しい可能性が高い。自信が成功を生み、成功がさらなる自信を醸成していくのだ。

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