サイトアイコン 大庭可南太の「ゴルフをする機械」におれはなる!

第四章 スインガーの動作とその習得方法(その3)

ここである読者がこう言うかも知れない。「なるほど、おそらく貴方が行ってきた事は真実であろうと思うし、『クラブヘッドをスイングする』という主張も理解はできるが、しかしやはり「スイング」の意味が完全に明確になったとは言いがたい。ヒモの先についたおもりをぐるぐると振り回しているような状態が『スイング』なのだということはわかるが、方向を切り替えなければならないような動作において、果たしてこのようなスイング動作を行う事は可能なのだろうか?」

ここで振り子の動作に戻ろう。例えば振り子、つまりヒモの先におもりがついたものを、135°つまり半円の四分の三くらいの角度で振り子運動をさせたとする。しかしこの振り幅を増大させ、180°をわずかに超える範囲まで振り子運動をさせようとすると、振り子が方向を変えようとするところで、おもりの動きがぎくしゃくして一定のものにならないことが想像できるかもしれない。しかしこの角度をさらに増大させ、完全に一周、つまり真円の弧を描く状態まで運動を大きくすると、こうした状態は発生しないこともわかる。

しかしあるものの働きによって、半円以下の弧で先におもりの付いたヒモの振り子運動を行っていた者が、なんら身体的な無理なくその弧を真円に近づけることができるばかりか、「スイング」本来の特徴を全く失うことなくクラブヘッドのパスの中でその動く方向を変えることも可能になるのである。その「あるもの」の正体は柔軟な手首であり、より正確に言えば、「一体化された二つの手首のアクション」である。

両手首は、人間がゴルフクラブをスイングする際に、純粋に機械的な道具では不可能な要素を供給する事ができるのであり、それは両腕はある部分が硬く柔軟性がない一方、ある部分は柔軟であることに起因している。手首の柔軟性は、ゴルファーがそのスイングのアークを拡げることも、スイング動作の特徴であるリズミカルな動作を妨げることなくその方向を変化させることも可能にするのである。クラブヘッドによって何が行われているかを感じ取る感覚は、この事実についての感性を磨くことで養われるのである。

従い、タッチあるいは感性を通じたクラブヘッドの正しいアクションを体得していくことこそが、我々が努力して目指すべき目標と言える。またストロークの開始時点の、ごくごく初期の段階でこの感覚が感じ取られていることが必要となる。スイングのアクションを伴いストロークを始動できない場合、それ以降の段階において正しいスイングの感覚を取得することは非常に困難である。おそらく全てのゴルファーがその上達のいずれかの段階において考案する、あるいはそのほかのゴルファーがどのようにストロークを始動するべきなのかを熟考することになる通り、始動は非常に重要である。

ここでボディの各部位がどのように動いている、あるいは連携しているのかを詳細に分析するつもりはないが、この「どのように始動すべきか」についての答えを探求することは、いわゆる「スイングとは何か」について理解することを極めて単純なものにする。ストロークを「スイング」にするためには、スイングされるものと、それに力を加える連結部分の末端に触れている部分が、正しい動作のガイドとしての機能を創出する。つまり、右利きのゴルファーであれば、シャフトの末端に触れているのは左手であり、この部分が動作の始動をリードし方向付ける。左利きのプレイヤーであれば当然その逆となる。

ゴルフは右腕一本、あるいは左腕一本で行うものではなく、両腕を使って行うものである。もし層ではないのであれば、例えばテニスのようにどちらか一本の腕を使用して行うことになる。しかし両手、両腕を使用してプレイする限り、シャフトの末端を握っている手はストローク全体を通じて安定した状態にあり、従ってガイドもしくは監督的な役割を果たすことになる。これは例えばオノや重いハンマーを振り回す際においても同様である。再び右利きの人であれば、左手は終始シャフトの先端を握っているのに対して、右手の位置は上下にスライドする事があるのである。

まぁこの文章の言わんとしているところは、例えば水の入ったバケツがあるとして、おもいきりグルグル回せば遠心力を欠けることができて水がこぼれないというような事があると思うのですが、このようなことをゴルフのストロークのような切り返しが発生するような動作で行う事ができるのかということですね。うまくやれば終始容器の中に入った水に遠心力をかけながら動かす事ができる気もするんですが、これを説明してるのが以下のベン・ドイルさんの動画のドリルではないかと想像するのですが、残念ながらこの動画はあまりにも音声が悪すぎて聞き取れません。

まだ続きます。

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