ある意味で、これまでの本書の内容は、二つの目的のもと展開されてきたと言って良い。一つは、ゴルフというスポーツの基本的な本質として、プレイヤーはゴルフのストロークをクラブヘッドをスイングするアクションとして認識しなければならないということを指摘することであり、それこそがこのゲームを着実かつ永続的に上達していくための必須要素であるということを訴えることであった。そして二つ目のフェーズとしては、その習得に向けて、両手の経験から蓄積される感性によって認知され、定義されるものを通じて、クラブを振っていく際のスイングのアクションを構築する方法の概要についてまとめてきた。

ひとたびこれを覚えてしまえば、そのプレイヤーはいつでも必要に応じて参照できる明確かつポジティブなガイドブックを常に携えながら、妥当な技術の習得に向けての王道を進んでいるようなものとなる。結果そのプレイヤーは、それまでの自分が知り得なかったようなゲームの悦びを探求する道を進んでいくこととなる。しかしこれをもって、そのプレイヤーがそれをマスターしたということになると言っているのではない。私が言いたいことは、これまで、そしてこれからも、誰一人として完璧なスインガーになった、あるいはなる者はいないということである。たとえ十回、二十回、三十回とほぼ完璧と言えるストロークを行ったとしても、その次の一打をそれまでと同じように上手く打てる保証はどこにもない。

ただ機械だけが、機械的なアクションを完璧に行う事が出来るのであり、そして機械には思考、イマジネーション、メンタルの側面といった、そのパフォーマンスを阻害するものが備わっていない。しかし一方で機械は、当然のことながら、目的の達成や、納得のいくパフォーマンスから得られる満足感を経験することもない。良くないプレイをしたあとの、ゲームに対する畏れ、怒り、あるいはそれを払拭するためのたゆまない練習を経験した者として、ゴルフをプレイする上で要求される真の技術を身につけようとする者に立ちはだかる様々な障害を克服するスリルに勝る満足感を私は知らない。

一般論として、ひとたびスイングのアートに習熟したものにとっては、想定できる技術の向上の度合いは、練習を通じて学習した原則をいかに賢く活用出来るかにかかっている。度重なる反復練習によって、あらゆるアクションがもはや習慣となるまでに習得されたならば、それらは無意識下でのコントロールが可能となる。偉大なるパデレウスキー(訳者注:ポーランドの高名なピアニストであり、政界に進出後に同国の首相となった)はかつてこう言った。「もし私が一日練習を休んだならば、私はそれを自分の演奏の中に感じ取れる。もし私が二日連続で練習を休んだのならば、聴衆がそれを感じ取るだろう。」ゴルフのクラブをスイングする技術ということに関して言えば、ピアノの演奏と同程度の繊細さが必要とまで言うつもりはないが、とはいえ練習とプレイにおける技術の間には密接な関係がある。

効果的な練習はプレイヤーのスイングのパフォーマンスを確実なものにしていき、それぞれのストロークのパフォーマンスが完璧に近づいていく度合いを着実に増加させる。ここで重要なことは、やはりクラブヘッドをスイングするアクションのフィーリングを習得することに集中しながら、継続的かつ定期的な練習を行うことである。こうして筋肉の活動ルーティンは、スイングの意図的な阻害要素が発生しない、その稼働のバリエーションが極めて少ない状態に発展する。ただしここでスイングの本来の感性の土壌を舗装するような意図的な思考の発生が起きないように意識し続けることも禁物である。

既に触れたように、上級者のある特定の外見面において、それぞれ細かい違いが生じていることは事実である。しかしそうした違いのほとんどは、ほぼ単なるクセなのであり、本質に付随したものであっても本質そのものではないことも既に述べた通りである。ほとんどの場合、それらは何らかの特定の効果を意図して狙った結果であるか、そうでなければ意図せず発生しているものである。いずれの場合にせよ、人はそれぞれ歩き方が違うということと同じで、個々人の識別に役に立つという程度のものでしかない。

しかしながらこれらの違いが、個々のプレイヤーのスタイルやフォームの違いという考察に発展し、あるいはこれら二つの言葉が広く誤解をされているために、この二つがゴルフに密接に関わっているという議論に発展する。ある者が「あのプレーヤーはどうしてあんなスコアになってしまったのだろうか。良いスタイルでゴルフをしていたのに」と言えば、まったく同じプレイヤーに対して他の者は「あのプレイヤーはあんなひどいフォームでどうやってボールを打っていたのかまったくわからないくらいだったよ」と言う。

もちろんここではこの二つの言葉の理解についての混乱が生じている。「フォーム」とは、辞書によれば、「何らかの表現、あるいは実行を行う際の確立された手法」とある。同様に「スタイル」とは、「物事を行う際の優雅と思われる、あるいは正当なやり方に沿った流儀、物腰」もしくは「特定の、あるいは特徴のある物事のやり方、マナー」とある。

言い換えれば、フォームとは、何かを行う際に実質的に何度でも同じように行う事が出来る許容範囲のことである。もしその方法が簡潔で、優美で、あるいは外見上の過度の緊張感や強制感がないものであれば、それは良いフォームと言うことになるだろう。そうした良いフォームとは、見た目にスタイルを感じさせるものである。スタイルとは、それがあるにせよないにせよ、ゴルフに関して言えば、それを見ている他者の視覚に訴える何かである。フォームとは、何らかのパフォーマンスを発揮しようとしているプレイヤーの方法である。もしこの定義が正しく、また表現や練習の方法が確立されたものであるならば、それは感性によって制御されているはずで、外見によって定義されるものではない。フォームとは、それがどれだけ外見上ぎこちないものであろうとも、信頼出来る確率で一定の結果を出すための方法である。スタイルとは、そこに良いフォームが内在している場合を除き、結果とは特に関係のないパフォーマンスの方法である。

もはや哲学過ぎてもちろん写真は本文と何の関係もありません。

 

 

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