本書ではこれまでの章で、「最適と考えられるスイング」の機械的諸原則について言及してきた。それはひとえに、異常なまでに複雑な神経のネットワークによって制御されている骨格群、関節群、筋肉群の複雑な構造の複合によって行われているゴルフスイングを極力単純化するためであり、またそのためにボディ全体をレバー、ピボット、およびパワーサプライのシンプルなシステムとして捉えようとする試みの結果である。

例えば肩と両手首の関節は、実質的にはほぼ全ての方向に可動域があり、問題はそれらの動きをモデルの指し示す単純なものにするべく、いかに「制限」するかにかかっている。

「間違った動作」が解剖学的にいくらでも可能である以上、ゴルフスイングには多様な論点が存在し、全ての個々のアイテムに注意を傾けつつ、完璧なスイングを目指すというのは、初心者にとっては不可能に思えるはずだ。

しかしそこまで悲観する必要はない。誰もが最初はそのように感じるのだ。最も学習を重ねてきた秀才、あるいは他のスポーツで最も成功してきたアスリートでさえ、ゴルフスイングはマスターすることが異常に難しい技術であると感じるのだ。

これにはいくつかの理由がある。まず、ゴルフクラブのヘッドはプレイヤーの両手からかなり離れた位置にあり、そして実際の打撃を行おうとするクラブヘッドとボールは共にかなり小さいため、どのようなコンタクトを迎えるにせよ、相当の困難を感じてしまう。さらに、許容出来るショットを行うためには、その打撃は6ペンス硬貨(直径19.41mm)のエリアで行われなければならない。実際に、純粋なストロークという意味においては、ゴルフはあらゆる打撃系のスポーツの中で最も難しいと言えるだろう。

本書のこれまでの章において論述された事実は、おそらくこうした現実を裏付けるものであるはずだ。もちろん、他のほとんどのスポーツにおいてはボールもしくは対象物が動いているために、プレイヤーは打撃の準備に入る際、その物体の飛行する軌道を予測しなければならない。そのため戦略や戦術といったものは、こうしたゲームをプレイするための全体的なスキルの一部といえる。よってゴルフの難しさを他のスポーツと純粋に比べることはできない。しかし明らかに、精密な打撃を行うことの難しさという点について言えば、ゴルフは比類のないスポーツである。

極度の正確性が要求されるということだけが、ゴルフというスポーツを極端に難しくしているわけではない。そのほかの理由について言及する前に、まずはゴルフスイングというものがなぜこうも常に論争を引き起こすのかについて説明することを試みたい。

なぜゴルフスイングはこうも論争を引き起こすのか

ゴルフを習熟する際、いや他のどのようなものを学ぶにせよ、そこには脳が関与している。実際に脳がどのような働きをしているのかについてほとんどわかっていないという事実は、万人をして「間違っている」という指摘を受ける危険をほとんど感じないまま、勝手な意見を述べることを許している。例えば、具体的なエビデンスに基づく方法が確立されるまで、誰もが子供の教育について独自のアイデアを持つことができる。ゴルフスイングにも同様のことがあてはまる。

加えて、ゴルフスイングは一瞬であるために、熟練の専門家であってもその動作の詳細を完全に見極めることは難しい。その事実の露見を避けるために、専門家はしばしば実際に視認が可能なこと以上のことに言及する場合もある。そうして、スイングの一瞬の間に起こる、肉体的あるいは精神的なできごとについて、何らかの神秘性が構築されていく。

かくして数え切れないほどの本や雑誌の記事、あるいはゴルファー達の会話において、こうしたことが延々と続けられることになるのだ。おそらく、こうしたことがゲームの人気を高めていることも事実である。真実に触れることが可能な状況でさえ、ゴルファーというものはしばしば主観的な感情に訴えるコンテンツ、あるいは立証不可能な論理を好むものだ。(もちろん、真実に基づく知識が常にゴルファーの問題を解決するとは限らない。しかしそうした知識は、多くの場合複雑な状況を整理し、より現実的な言葉で議論を行うのに役立つはずである。)

多くのスキルにおける、視覚―脳―筋肉の連鎖反応について

ゴルフのように、多数のオブジェクトの操作を伴うスキルは、「感覚運動スキル」と呼ばれる。日常生活において複雑系のスキルは多様に存在する。自動車の運転は複雑系のスキルである。スプーンを扱うのは単純系であるが、どちらも学習が必要である。我々は既にスプーンを使うことに慣れてしまっているため、子供のころにどのようしてその使い方を学習したのかを思い出すことは難しい。我々は今では、スプーンの使い方を意識することなく使っているが、実際には全ての動作が同様であるとは限らない。熟練したゴルファーがゴルフクラブをスイングする際も同様の感覚を経験している。しかしここで着目したいのは、彼らのスイングは彼らがイメージしているほど「型にはまった」ものではないのだ。そして実はゴルフクラブを制御しているものは、両手ではなく、脳なのである。

自動車の運転は、全てのスキルにおける、人体の三つのセクションによって機能している不可分の領域を表している。両眼は、道路上における車の速度や位置、あるいは前方に位置する危険性についての情報を受け取っている。情報は他の器官から収集されている場合もある。耳は危険性のあるシグナルを感知する、あるいはバランス感覚は自動車のコーナーリング速度が速すぎる危険性を察知するかもしれない。

こうした情報は脳に伝達され、過去の経験の結果から蓄積されている記憶とともに、決定を行うために使用される。この決定は神経インパルスの形にコード化され、状況に対応するタスクを実行するための適切な筋肉群に伝達される。

これらの三つのステージは、全て同等に重要である。自動車を制御するためのあらゆる反応を行うのは、両眼ではなく、筋肉群である。しかし筋肉群は、脳によってそのように指示されない限り収縮することはない。そして脳は、その決定の元となる情報を両眼から受け取っていなければならない。つまりこれは、感覚器官、脳、筋肉群の連鎖反応である。そして全てのスキルは、その外見上の見た目はどうであれ、多かれ少なかれこれらの三つのプロセスを経た結果なのである。

極端な例をあげれば、チェスをプレイする場合、筋肉群の反応はほとんど必要ないが、状況を観察し、戦略的な操作を立案するために両眼と脳の働きを多く必要とする。ゴルフは反対の意味で極端な例となる。ボールを打撃するためのアドレスの状態に入ったならば、(例えばボールがティから落っこちるといったことがなければ)両眼が脳に伝達するために収集できる情報はほとんどない。しかし筋肉群は、そのプレイヤーの脳からの指示に基づいて、恐ろしく複雑な動作の実行を続けなければならないのだ。

正確な動作は継続的な修正を必要とする

制御下にある対象物を目標に向けて移動させようとするスキルが発動している間じゅう、両眼は対象物とターゲットのあいだの関係性についての情報を継続して供給し続けなければならない。正確性を要求される度合いが強くなる時、つまり対象物とターゲットの間の距離が短くなるにつれて筋肉はますます細かい調整を必要とし、こうした調整の結果はそれ以外の調整が行われる前に脳に蓄積する。この処理は時間を要する。よって正確性が強く要求される動作ほど、通常はゆっくりとしたものとなる。 

一方正確性がそれほど重要ではない場合、通常脳は、動作の修正を行うための視覚からの情報を待たずに、手足に全体的な動作を実行するように指示する。

しかしゴルフスイングにおいては、クラブヘッドを正確に動かすだけではなく、可能な限り早く動かすことが重要となる。スイングの最中、両眼はボールの位置についての情報を送り、筋肉および関節の感覚器官(「固有受容器」と呼ばれる)は、身体じゅうのあらゆる部位の動作および位置についての情報を送り続ける。

我々は視覚や聴覚といった、より明白な感覚器官により敏感であるため、固有受容器についてさほど認識しているわけではない。しかしそれが確かに存在し、身体の部位の動作や位置の情報提供を行っていることを実感することは難しくない。ただ目を閉じて、両腕を動かしてみれば良い。両眼から得られる情報が何もなくとも、我々は両腕の位置を感知し、ある程度正確な動作を実行することが可能なはずだ。完全に正確ではないにせよ、目を閉じた状態で両手の人差し指をタッチさせるくらいのことはできるかも知れない。

我々はゴルフスイングの最中に、これら全てのソースから集積された情報をもとに、クラブに対して完璧な制御が行われるべきであると考えるかも知れない。しかしゴルフスイング中のこうした情報が、それほどの価値を持つわけではないことを示すために、ある実験について紹介したい。

反応速度に関する実験

この実験では、日光が完全に遮断された、ただ一つの人工的な照明が転倒している部屋の中でネットに向かってドライバ−ショットを行う。一つこの実験が特殊であるのは、もし照明のスイッチがオフにされれば、この部屋の明るさは急激に失われ、この実験の目的のために急激に暗闇状態になるのである。被験者のゴルファーはここでショットを打ち続け、ショットの善し悪しを測るために、ボール初速やフェースのコンタクトポイントを記録できる状況にあるとしよう。

しかしスイングの最中、無作為のタイミングで照明のスイッチはオフとなる。被験者はこれはが起こることは知ってはいるが、どのスイング、あるいはどのタイミングで起こるのかは知らされていない。スイッチがオフになった場合、被験者は可能なかぎりスイングを停止する、あるいはそれができない場合には、スイングのスピードを緩める、あるいはボールの上空を空振りする、あるいはミスヒットを行うように指示されている。

この実験の目的は、スイングにおける異なるポイントで照明のスイッチがオフになった場合、どの段階でゴルファーは完全にスイングにコミットしてしまい、もはやそれを変更できなくなるのかを見つけることである。

さて、もはや後戻りのできない、「ノーリターン」のポイントはどこだったのであろうか。クラブヘッドがボールの30cm手前のときか、60cmか、あるいはダウンスイングのハーフウェイダウンのときか?実験結果はこれらのどのタイミングよりも早いポイントだったのだ。多くのゴルファーでテストを行った結果、ダウンスイングのごくわずか以降に照明が消された場合、誰一人としてその後のスイングを変更することはできなかったのである。いっぽう、バックスイング中に照明が消えたのであれば、ほぼ全ての被験者がスイングを停止することができたのである。

この実験の意味することは、我々はひとたびフォワードスイングを始めてしまったならば、それを修正あるいは変更したりすることは出来ないということである。

これはゴルファーにとっては驚きかも知れない。しかしこうした実験を繰り返した科学者にとってそれほど驚くべき事ではないのは、ダウンスイングに要する0.20.25秒という時間は、脳が何らかの外部からのシグナルを受け取り、それに対する適切なアクションを指示し、関連する筋肉群がその指示に基づいて何かを行うための最小限度の時間とほぼ同じだからである。

エラーの修正  バックスイング中において

さて、実際にゴルフをプレイするとき、被験者は光の点滅のようなメッセージを受け取っているわけではもちろんない。現実のスイングにおいて、彼はその視覚から得られる、ごく限られた情報に接することができるのみであるが、彼の脳は身体の部位や関節の位置、あるいは筋肉の収縮量などについて、固有受容器を通じて得られるメッセージを処理し続けている。そのプロセスに要する時間と、視覚的プロセスに要する時間に大きな差があるとは考えにくい。

実験の結果が意味することは、脳は感覚器官から情報を受け取り続けているが、それをフィードバックして利用するだけの時間がないということである。つまりゴルファーが、ダウンスイング開始以降のあらゆるポイントにおいて「このままではまずい」と感じたとしても、彼がそこで行えることは何もないのである。

しかしこれは、間違って始動したスイングを救済することはできないということではない。しかし救済されるということは、何か問題があるということであり、その情報はかなり早い段階、つまりバックスイング中のどこかの時点で脳に伝達されていなければならないのである。よって、もしプロがボールを打つ際に、最後の瞬間にやや大げさな右手のロールを使って、本来であればややスライスになるボールを許容可能なドローに変化させることがあったとしても、そのスイングがどこか予定通りではないという情報は、バックスイングの早い段階で彼の脳に送られたということに疑いの余地はないのである。

本人はそうは認識していないかも知れない。本人は、全体のプロセスはダウンスイング中に発生したものだとイメージしているかもしれない。しかしそれは幻想である。「消灯」実験は、このプロセスがもっと早期に行われたことを証明している。被験者であるゴルファーは、どのタイミングで照明が消えたかについて尋ねられると、例外なく実際のタイミングよりも遅い時点でそれが起きたと言うのである。例えば、もし照明が実際にはダウンスイングの開始時点で落とされた場合、大半の被験者はそれがインパクト付近で起きたと主張したのである。

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