「やっぱコロナたいしたことないかも」と感じてる方も多いと思うのですが、「なぜ日本(やアジア諸国)ではこれだけ感染者数も死亡者数も少ないのか」が科学的根拠をもって解明されない限り、安全と認められても「安心は出来ない」という感情が多数派を形成している状態ではこの自粛ムードは収まらないのでしょうね。統計的には「正月のモチ」よりも安全なように見えるのですが。医療崩壊よりもメディアが崩壊するほうが早いのではないかと思います。

統計的には数千人に一人しか感染しないレアな病気なのに、なぜか有名人の罹患が多いこともナゾです。なんか世界的に「コロナによって傷ついた世界」が演出されている気がしてなりません。だとするとその後の世界がどのように展開するかですが、このまま収束して「よかったよかった」で終わるわけはありませんので、何らかの重大な局面に発展する前触れのような気がしてなりません。平和にゴルフが出来て、週末には国内外でプロの試合が観戦できるという当たり前の尊い日常が一日も早く訪れることを祈ります。というわけで「スインガー最強論」の続きです。

 

「ドライバーはどのように打つのか」「マッシー(5番アイアン)のコツ」といった具合に、キャディバッグに入っているたくさんの異なるクラブを、それぞれどのように扱えば良いのかといった個々の詳細な技術について考えるとき、その困難に直面して途方に暮れているゴルファーがいるとしても、それは驚くべき事ではない。また実際にそうした異なるクラブを扱う方法について、さまざまな場所で詳細な議論が展開されているということも承知している。よってここではその問題についての私の考えを明確にしておきたいと思う。ゴルフのストロークは、その基本的な本質から考えれば、全てのクラブの使用に際して同じである。

ドライバーからブラッシー(2番ウッド)、そしてパターにいたるまで、それは全て「スイング」で行われる。「いやいくつかのスイングを使い分けている」ということはあるだろうが、使い分けなければならないというものではない。既に述べたように、異なるプレイヤーが全く同じスイングをしているというのを私は見たことがない。世の中には数多の優れたゴルファーが存在するが、その全てが「スイング」をしている。よって「スイングすること」の方法におけるバリエーションについては、これ以上言及する必要がないようにも思える。

さらに言えば、全ての上級者は、プレーの際にショットごとの特定の状況に応じたものとなるよう、そのスイングを常に変化させている。例えばボールを極端に高く上げる必要があるような場合、プレイヤーは充分にロフト角のあるクラブを選択するとともに、ストロークもしっかりとアップライトなものとなるように実行することだろう。しかし「クラブヘッドをスイングする」こと自体は何も変わらない。クラブヘッドがスイングされるプレーンは自然に変化する。

困難なライからのショットは、同様にその特定の状況にマッチしたスイングを採用するという特別な問題を内包している。たとえば前脚上がり、あるいは前脚下がりといった状況では、プレイヤーはストローク全般を通じてバランスをキープするための感覚を通じて、ショットが完遂されるための安全性を確保しなければならない。しかしもしそのプレイヤーがもはや習慣的となるまでにスイングの技巧を獲得しているのであれば、このことはパズルを解くようなな難しさを伴うものではない。彼はその辺の丘を歩いているときに、上り坂、あるいは下り坂で同じ事をしなければならない。しかしこのとき彼は、そうした特定の状況に対応する必要性に関して特に意識はしていないはずである。彼の筋肉のアクションは、身体をバランスの取れた状態に保つという当然の目的に対して反応しているだけであり、そこに何か意識的なものが存在するわけではない。ゴルフのストロークのプレイについても同じである。

アイアンを打つときはウッドの時よりも強く打ち込まなければいけないという一般に広く信じられている説がある。確かに上級者のプレイを観ていても、ウッドのときよりもアイアンでは「パンチ」と表現される感覚が強く感じられることがあるのは事実かもしれない。ここで読者諸君には、以前の章で触れた「ヒッティング」と「スインギング」の違いについて思い出してもらいたい。また私が、「誰一人として完璧なスイングをしているわけではない」と断言したことも思い出して欲しい。我々は常に、我々が正しく扱うことの出来るパワー(つまりこれが「スイング」よってもたらされるものだが)を超えたパワーを投入したいという衝動を抱えている。我々が制御出来るパワーを超えたものを投入しようとするとき、そこにヒッティングの欲求が顔を出すのであり、それはその終点、つまりインパクトの瞬間に向けてどんどん大きくなっていき、ストロークに目に見えない形でダメージをもたらす。よってストロークの始動が「スイング」としてスタートしたとしても、結局インパクトまでこの状態に影響され続けることになるのである。

またインパクトより前の過程におけるどんな短い瞬間であれ、そこにヒッティングの要素が介在するならば、ボディと腕の動作における相互の干渉から解放された純粋な手と手首のアクションが制限されることになり、結果として必ずストロークの始動時点でレバレッジの原理が導入されることになる。つまり、もしストロークの始動でレバレッジの方法がクラブを振るためのパワーに活用されたならば、それ以降の時点でそのストロークが「スイング」に発展する可能性は消える。逆に、もしストロークの動作がその発端から「スイング」であったならば、いささかレバレッジが両手、両手首にインパクトまでに発展するとしても、両手、両腕は「スイング」であり続けようとし、「スイング」の個性を優位的な動作として確保し続ける事が出来るのである。

ここで、フルショット未満のアイアンのストロークについて、「ヒッティング」もしく「パンチ」を用いているように外見上認められるもう一つの理由について説明したい。こうした短いストロークでは、明かにボディのターン量はバックスイング、フォワードスイングともにフルショットの場合よりも少なくなる。しかし両手首の屈曲および伸長の度合いはフルショットと変わらないのである。プレイヤーがクラブを振る際、クラブヘッドの重量によって両手首が完全に曲げられた状態になるまで引っ張られるからであり、それはクラブが切り返しで反対方向に動き始める際に顕著となるからである。

また注意しておきたいこととして、両手首は両腕と両手の間に存在するヒンジのような存在であり、そのため真のスイングの動作においては自然に発生する外側方向にクラブヘッドが引っ張られる力がインパクトに向けて最大となるが、これはストロークにおいて意図的に手首のスナップを使おうとする動作とは完全に別物である。当然のことであるが、クラブヘッドが切り返しでその運動方向を変化させようとするタイミングで、両手首がヒンジの動作をすることで、両手首と両前腕の関係性はアドレスのそれとは全く異なる状態になっている。また同様に、インパクトに向けて、クラブフェースとボールがスクエアな関係になるように、両手はアドレス時に近いポジションを復旧させなければならない。しかしこのポジションの復旧はスイングのアクションによって達成されるものであり、プレイヤーの意図的な試みによっていわゆる「リストスナップ」を使用した状態をストロークにおいて作りだそうとするものではない。

 

まぁ早い話がスナップ使ってるように見えたりタメが強いスイングって、両手でそういう操作をしているように見えるけど、実際はそうではなくてスイングのアクションを柔軟性を持って行った結果ということですね。今回も字ばっかなので癒やし画像でも付けておきます。

https://www.bs-tvtokyo.co.jp/g_megami/73.html

 

 

 

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